今日のエッセイ的な何か 08月02日(Kin226) 遊ぶように「はたらきたい」し、「はたらくように」あそびたい。

 TOP管理人のつぶやき → 2016年08月02日(Kin226)

はたらくということ

・何を大切に生きてきたのか、生きていきたいのか

社会に出る学生の皆さん、今まで大切にしてきたものは何ですか?はたらく上で何を大切にしていますか?

なんて言葉を今年も何回言っただろうか。。。

新卒採用がひと段落したこの時期にワタシが大切にしていること、大切にしていきたいこと。「はたらくこと」についてちょこっとだけ考えてみた。

・「はたらくこと」は、つまりは「大切にしてきたもの」を考えたり感じることでみえてくるのではないのだろうかと思う。

・「子供たちが大人になる頃、その65%はまだ存在していない職業に就く」

・今の常識は常識じゃなくなる世界はすぐやってくる。

・機械やロボットにもできる仕事は「職業」としては消滅していく。誰にでも出来る仕事をしている人は全員、無職になる。

2011年、ニューヨークタイムズでこんな記事が取り上げられていた。

職業がら、学生と接したり、他の会社の採用担当や人事役員と会ったりすることが多いのだけど、学生からすると、「自分の素」を見せていいのかを聞かれることがある。

わからくなって、ぐるぐる考えるうちに「新卒採用の方程式みたいなのにあてはめて答える」

人事を長いことやっていると、多少なりとも世の中の「方程式」にあてはめなくても、面接官のほうが人を見る目(その企業で活躍できるかどうか)はあるはずだし、まずは、入社してから「その場所でしっかり筋トレすればいい」と思うのです。

企業が求めている人と本人の思考性が一致してなければ、その場所にいることもできないのですし、そもそも本人の思考性なんて変える事はできないのです。

個人的なことを言えば、遊ぶように「はたらきたい」し、「はたらくように」あそびたい。「仕事」と「遊び」の境界線なんて混じり合えばいいのに。と思うのです。

まわりから、「あいつは学生と海に行ってるよ。」なんて説得力のない場合はもちろんダメなのです。「海に行ってるよ。」と言われて、「あっそう。」って言われるくらいならそれだけのことをやってるということだし、ある意味自信も持てるわけです。

例えば、プロの麻雀士もそれはそれで徹夜とか大変なことがあるわけで、プロサーファーも風と波と自分のコンディションが一致してないといいランディングはできない。

傍目からすると「いいねー、自由人だね」と言われちゃいがちになるのです。

「はたらきかた」が変わりつつある変化のスピードの中で、「やりたいたくない仕事も我慢するのが仕事」とか「好きなことは仕事にしたいとか甘いこというなよ」とか「組織はその方向を見てないよ」とか

そんな正論めいたような化石みたいなことを言っていることはもはや通じない時代がすぐそこまで来る。

スティーブ・ジョブズは、「例え今日死ぬとしても、いつもと同じように出社する。何故ならそれが、自分が一番やりたいことだからだ。」

というスタンスで生きること、はたらくことがワタシにとっての正解なんだと思う。

明日、もし死ぬとしたらこの「マヤ暦|ツォルキン暦」に記事を投稿して、いつも通りに採用企画を考え、実施して一日が終わりたい。

今日も当サイトを見に来てくれてありがとうございます。人を簡単に「組織にあわないやつ」とする考えは、だいたいダメだ。と思ってます。

2016年8月2日 Kin226 黒Kin(白い世界の橋渡し-白い風 音5)



今日のエッセイ的な何か 08月01日(Kin225) みんな違ってみんないい

 TOP管理人のつぶやき → 2016年08月01日(Kin225)

みんな違ってみんないい

・金子みすゞも「みんな違ってみんないい」と言いますし、学校でも「個性は大事だよ」と教えていると思います。福祉分野でも「障害は個性」と言っている人もいます。

つまりは、個人は個人なりに、「なんらかの共通の考え」だとか、「そういえばそうしてきたルール」だとか、「これはちがうだろう、と思うところ」だとかが、あってしかるべきなんだと思う。

個性は誰かに言われたものでも強制されるものでもないのだけど、それによってある種の規範めいた人たちと接するときに、個性重視の人が接すると、価値観が違うから衝突する可能性が高くなる。

規範めいた人たち同士でもグループによって規範が異なると、自分とは違う規範に生きている人たちはアウトローに見えてしまうのであります。

つまりは、「衝突するリスクが高いと感じるからコミュニケーションが難しい」と感じられるのではないかと思うのです。

相手と違う意見を言ったら争いや戦いになる。

これがコミュニケーションの難しさだとするならば、言いたい事を言っても戦わなくて済む環境を目指した方が良いのでは?なんて思ふのであります。

たとえ、仲良くなりたくない人がいるのであれば、それはそれで問題ない。

接点や関わりを経てない関係の状況も場合はある程度妥協も必要ですが、屈する必要はないし、出来るだけ相手を尊重し、受け入れられるラインまでは受け入れて、お互いにいい距離感をどうしたら作れるのか?を考えればよいだけだと思うのです。

憎しみが介入しなければ、相手の個性を受け入れられる。

大切なのは、不要な争いをせず、お互いがお互いの幸せを掴めるようにという意識を持ち続け、普及させていく事なのかなー。と。

もし、ワタシがあなたがみんなが、他人という存在や個性、意見を尊重し、バランス良くコミュニケーションを取って行こうという意識を定着できたら、
コミュニケーションによるストレスなんて感じなくなるんじゃないかな。

<人はイロイロであります。>

社会にも、お客さまにも、会社にも、家族にも、イロイロの人がいて、イロイロの思いや考えがあります。

それが、あたりまえのことで、イロイロのままで、うまくやっていく。

言葉をもつ意味を考えさせられますな。

とって付け加えた感じになちゃいますが、生年月日から確立統計を見る「マヤ暦」もその人の個性をパターン化したものなのです。

相性占いや誕生日占いからでも、この人、こういう言われ方嫌なんだーとかこの人、こういう考えもってるんだーとか思って貰えればありがたいなー。

「みんな違ってみんないい」ってステキな言葉。今の日本では、全然当たり前じゃないから、言葉が響くんだろうね。

2016年8月1日 Kin225 極性Kin(赤い蛇 – 白い風 音4)



今日のエッセイ的な何か 07月29日(Kin222) 甘さにも強弱があるし、安っぽい甘さと、上品な甘さって違うのだよ。

 TOP管理人のつぶやき → 2016年07月29日(Kin222)

いつからか、お菓子やデザートを食べて「甘くなくておいしい」って言うようになりました。時代の変化なのでしょうか。

甘くないお菓子が甘かったら美味しくないし、甘くても美味しいお菓子はたくさんある。

甘さにも強弱があるし、安っぽい甘さと、上品な甘さって違うのだよ。

甘さと他の材料のバランスが大事なのであって、そのバランスが取れるならどんどん甘くしてよろしい。

それが「おいしさ」なのだから。と思うのであります。

なんで、そんなことを言い出したのかというと、お世話になった方が「甘さ控え目でおいしい」ドーナツをだされました。

出来るだけシンプルに素材のおいしさを。

HYGGE(ヒュッゲ)という名前も、デンマーク語で「人と人とのふれあいから生まれる、温かな居心地のよい雰囲気という意味の、他の国の言語では置き換えられないデンマークの個性を形成している言葉」からなんだそうです。

「個性を形成している言葉」ってそれだけでプロフェッショナルなのであります。

甘さにも、おいしさにも種類がたくさんあって良いのです。大事なことは、好きなものをたくさん増やしていける人生を生きていきたい。ってことなんだと思います。

沖縄に住んでる人も、そうじゃない人も「甘さ控え目でおいしい」ドーナツを、たくさんの人に食べてもらいたいと思ったのです。(ステマじゃないよ。w)

いつか「沖縄の子どもたちのオヤツの定番といえば?」って「HYGGE(ヒュッゲ)のドーナツでしょう」って言われるように、当サイトも、あたりまえにみんなの身近にいれるサイトでありたいなー。

店主:Kin99(青い嵐 – 黄色い人 音3)
プロデューサー:Kin6(白い世界の橋渡し – 赤い竜 音6)
お互いに補い合っている補完関係のお二人。
お二人にはじめてお会いしてから、10年が経ちます。
なんかカッコイイって言葉が似合うお二人です。

今日も当サイトを見に来てくれてありがとうございます。
面白くおかしく、やさしい時間を過ごします。

2016年7月29日 Kin222 黒Kin(白い風 – 白い風 音1)



今日のエッセイ的な何か 07月25日(Kin218) 「失敗も成功も」あるに決まっている

 TOP管理人のつぶやき → 2016年07月25日(Kin218)

つくづく思う事のひとつに、ものごとを大きく動かすのは「最初のひとり」が大事なんだと思います。

「最初のひとり」の情熱だったりとか、独自のコンテンツだったりとか、輝きだったりとか、面白さだったりとか、やさしさだったりとか、そういうプランがないプランはダメなんだと思います。

当サイトもなんとなく、いま思うとそこがスタートだったような気がしています。

この5年間、みんなが集まってくれることで、ちょこっとだけだけど見に来てくれるみんなに、「何か」をお伝えできることができたのだと思ってます。

じょうずに伝えられたこともあるでしょうし、じょうずじゃなかったこともあります。失敗も成功もあるに決まってますが、面白くやさしいサイトでありたいということは、わかってきたのではないかと思っています。

みんなが集まってくれるから続けられています。「みんな」と言う言葉が適切かどうかはわかりませんが、いろんな「みんな」が当サイトを楽しんでくれ、中心をつくっています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

だからと言ってはなんなんですが、これも欲しいよ。あれがいいよ。なんてあったら是非おしえてください。

今日も当サイトを見に来てくれてありがとうございます。今日も面白くおかしく、やさしい時間を過ごします。

2016年7月25日 Kin218 黒Kin(白い鏡-赤い月 音10)



今日のエッセイ的な何か 03月23日(Kin94) 「いまここを生きる」ためのスピリチュアル

 TOP管理人のつぶやき → 2016年03月23日(Kin94)

本の売上や、書店数が激減する中、ちょっと前から、「スピリチュアル」という言葉と「精神世界」のジャンルの書籍だけは売上を伸ばしているんだそうです。

ワタシのまわりには以外とスピリチュアルな人が多いような気もしていたし、取り立てて気に留めることも多くはなかったし、なんとなく自分のご機嫌が取れる人たちに囲まれて生きてきてた。

ここ数年、とくにマヤ暦を学び始めてから、やっぱり「自分」に興味が湧いてきて、「何が楽しいのだろう」とか、自分に対して期待したり、自分の好きなことで自由に生きる、この感覚が好きだなーと思ったわけです。

なんでこんなことを思ったかというと、翻訳家の山川紘矢・亜希子さんの講演会が5年ぶりに沖縄で開催されるので、その予習に「なまけ者のさとり方増補改訂新版 [ タデウス・ゴラス ]」を予習のつもりで何年ぶりに本箱からひっぱりだして読んでみた。

読みはじめたら、やっぱりおもしろい。

そして、書いてあることについて、

「ああ、こういう考え方、じぶんもやってたかも」

と首肯きながら読み進められ、とっくにわかっている人からしたら、釈迦に説法どころの話じゃないのだろうけれど、どうやら、「スピリチュアル」というのは、「いまここを生きる」ためのことばの使い方なんだと改めてキャッチした時間なのでした。

今日は、4年前にホゼ・アグエイアスの亡くなった日で、2016年3月23日はKin94で、満月。

ピュア。純粋。素直。まっすぐ。そんな気持ちで取り組むといい感じだったりします。

ひたむきに。実直に。

今日も当サイトに訪ねてくれてありがとうございます。まとまってない文章だけど、ホゼに今世紀で会ってみたかったな。

2016年3月23日 Kin94(白い魔法使い-黄色い人 音3)