5,106 views

人生いろいろ・島倉千代子の誕生日占いと人生鑑定

 TOP誕生日占い個人の人生を鑑定 → 島倉千代子

記事公開日:2019年01月06日
最終更新日:2024年03月28日

島倉千代子
→ 画像検索はこちら

島倉千代子(しまくら ちよこ)は、日本の演歌歌手。

デビュー曲『この世の花』が200万枚を売る大ヒット。その後もミリオンヒットを連発。
しかし私生活でのトラブルで総額20億円の借金を背負い返済に明け暮れます。
その後『人生いろいろ』が大ヒット。モノマネをきっかけに再ブレイク。

このページでは、島倉千代子(しまくら ちよこ)の生年月日から求めた誕生日占いと、歩んだ人生と個人Kin年表との鑑定を行います。

島倉千代子(しまくら ちよこ)の誕生日占い(性格診断)

誕生日:1938年3月30日

誕生日から算出したツォルキンバースディはKin231です。

太陽の紋章(健在意識) ウェブスペル(潜在意識) 銀河の音
青い猿 白い風 音10
ガイドをしてしてくれる ガイドkin 青い嵐
互いに学びあう 反対kin 赤い竜
互いに秘かれあう 神秘kin 白い犬
以てるもの同士の類似kin 黄色い星
鏡の向こうのもう一人の自分 kin30
絶対反対kin kin101

誕生日占い(性格診断)の簡易説明

「音10」は、見えない部分で力を発揮し、土台を作成する能力に長けています。誰かが出したアイディアを形にするのも得意です。プロデュースやアドバイザーに向いていますが、若干緻密さにかける一面があります。人格的で従順な人が多く、おおらかな反面スピード感が無く思われがちです。

「白い風」は、人との共感やつながりをとても大事にします。人の心の動きに敏感です。他の人が感じないようなことまで感じる人です。

「青い猿」は、聡明で頭の回転が速く知性・理性・精神性が高い天才型人間です。どんな小さなことでも楽しみや喜び・満足を見出す人で、楽しくない状況すらも楽しみに変えることができるパワーを持っています。

ひとことでいえばKin231の誕生日占いは、自分の力を過信しやすいタイプです。助言に耳を傾けるのが大事です。心を引き締め足元に注意しスタートすること。

広告

島倉千代子(しまくら ちよこ)の個人Kin年表とその生涯を照らし合わる

東京で二男四女の四女として生まれます。父は警察官です。

デビュー以前

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1945.3.30~ 7 186 4 白い世界の橋渡し 青い夜
1946.3.30~ 8 31 5 青い猿 青い手
1947.3.30~ 9 136 6 黄色い戦士 青い猿
1945年に長野県松本市に疎開。7歳の時に左手首からひじまでを負傷し47針の大けがを負います。この時に輸血が原因で生涯患うC型肝炎にかかります。
1947年に東京に戻ります。姉より歌を習い歌手になるのを決意。のど自慢に参加するようになります。

ウェブスペルの色が青色の前半に左手に大ケガを負い、輸血が原因で生涯患うC型肝炎にかかります。

デビュー

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1953.3.30~ 15 246 12 白い世界の橋渡し 青い鷲
1954.3.30~ 16 91 13 青い猿 青い嵐
1955.3.30~ 17 196 1 黄色い戦士 黄色い戦士
1953年に品川区の日本音楽高等学校へ入学。歌謡コンクールにも積極的に参加するようになります。
1954年にコロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、1955年に『この世の花』でデビュー。200万枚を売る大ヒットとなり一躍人気スターになります。
島倉千代子は1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表していきます。

ウェブスペルの色が黄色の始めの年に『この世の花』でデビュー。一躍人気スターになります。

紅白歌合戦

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1957.3.30~ 19 146 3 白い世界の橋渡し 黄色の種
1958.3.30~ 20 251 4 青い猿 黄色い星
1959.3.30~ 21 96 5 黄色い戦士 黄色い人
1957年に『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。この年末に紅白歌合戦に初出場。1958年に『からたち日記』が130万枚のヒット。
1つ年上の美空ひばりには生涯に渡り妹のようにかわいがられます。紅白歌合戦には2004年までに35回出場。

ウェブスペルの色が黄色の前半に紅白歌合戦に初出場。ヒット曲に恵まれます。

島倉忍

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1963.3.30~ 25 256 9 黄色い戦士 黄色い星
1968.3.30~ 30 1 1 赤い竜 赤い竜
1963年に母の反対を押し切り元阪神タイガースの藤本勝巳と結婚。
結婚前に妊娠していましたが中絶。結婚後も2回妊娠しますが中絶。後年3人の子をしのんで「忍」と名付け小さな地蔵を生涯肌身離さず持っていたそうです。

1968年に『愛のさざなみ』が幅広い世代でヒット。この曲で第10回日本レコード大賞を受賞します。同年、藤本勝巳と離婚。

ウェブスペルの色が黄色の後半に藤本勝巳と結婚。
赤色の始めの年に『愛のさざなみ』で日本レコード大賞を受賞します。同年、離婚。

借金地獄

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1975.3.30~ 37 216 8 黄色い戦士 赤い月
1976.3.30~ 38 61 9 赤い竜 赤い空歩く人
1977.3.30~ 39 166 10 白い世界の橋渡し 赤い地球
1975年に知り合いの眼科に頼まれ実印を貸してしまいます。結果、その知人だけでなく全く知らない人達の借金の保証人にされてしまいます。
借金は雪だるま式に広がり当時総額16億円といわれるほどの借金を背負います。
さらに、1977年に島倉が裏書していた知人の事業が失敗。前のと合わせて20億円近くの借金となってしまいます。
島倉はこの借金を地方興行、キャバレー周りをしながら借金の返済をしていきます。

ウェブスペルの色が赤色の後半に私生活でのトラブルで総額20億円の借金を背負います。

人生いろいろ

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1987.3.30~ 49 176 7 黄色い戦士 白い犬
1988.3.30~ 50 21 8 赤い竜 白い魔法使い
1989.3.30~ 51 126 9 白い世界の橋渡し 白い鏡
1987年に『人生いろいろ』が130万枚を売る大ヒット。さらに山田邦子コロッケによる物真似をきっかけに『人生いろいろ』が若者にも受け、再びブレーク。『人生いろいろ』は流行語になり、借金完済の目処がたちます。
1989年に美空ひばりが他界。訃報を聞いた島村は息子に頼み込み3日間そばを離れなかったそうです。

ウェブスペルの色が白色の半ばに『人生いろいろ』が大ヒット。モノマネをきっかけに再ブレイクを果たします。借金返済の目処がたちます。

ガンの会見

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1993.3.30~ 55 26 13 白い世界の橋渡し 白い魔法使い
1999.3.30~ 61 136 6 黄色い戦士 青い猿
2004.3.30~ 66 141 11 赤い竜 青い猿
1993年に乳がんが発覚。芸能人が会見をひらき自ら癌を発表。後に手術は成功。
1999年に紫綬褒章を受賞。
2004年に歌手生活50周年。この年に出場した紅白歌合戦が生涯最後の出場であり35回目でした。

ウェブスペルの色が青色の最期付近に生涯最後の紅白歌合戦へ出場

晩年

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
2007.3.30~ 69 196 1 黄色い戦士 黄色い戦士
2008.3.30~ 70 41 2 赤い竜 黄色い太陽
2010.3.30~ 72 251 4 青い猿 黄色い星
2013.3.30~ 75 46 7 白い世界の橋渡し 黄色い太陽
2007年にパチンコ『CR島倉千代子の千代姫七変化』が発表。
2008年に出身地である京浜急行電鉄青物横丁駅の電車接近メロディに『人生いろいろ』が採用。
2010年に肝臓癌が発覚。手術・入退院を繰り返します。
2013年11月8日に亡くなりました。

ウェブスペルの色が黄色の半ばに亡くなりました。

島倉千代子(しまくら ちよこ)のまとめ

個人Kin年表の流れで見てみるとウェブスペルの色が

青色の前半に左手に大ケガを負い、輸血が原因で生涯患うC型肝炎にかかります。
黄色の始めの年に『この世の花』でデビュー。一躍人気スターになります。
黄色の前半に紅白歌合戦に初出場。ミリオン超えのヒット曲に恵まれます。
黄色の後半に藤本勝巳と結婚。
赤色の始めの年に『愛のさざなみ』で日本レコード大賞を受賞します。同年、離婚。
赤色の後半に私生活でのトラブルで総額20億円の借金を背負います。
白色の半ばに『人生いろいろ』が大ヒット。モノマネをきっかけに再ブレイクを果たします。借金返済の目処がたちます。
2度目の青色の最期付近に生涯最後の紅白歌合戦へ出場。
2度目の黄色の半ばに亡くなりました。

島倉千代子の墓碑の背面には島倉千代子と並んで島倉忍の名が刻まれています。

参考資料

☆いろいろ書きましたがすべて個人的な見解になります。

自分で検証を行うには・・・

個人イメージ

あなたのKinを調べる (誕生日占い)

誕生日からKin番号を求め、対応する銀河の音とウェブスペル、太陽の紋章の詳細表示を行う占いです。ご自身のもっているエネルギーに気付きや再確認することがある事と思います。

続きを読む

個人Kin年表

個人Kin年表 (人生占い)

誕生日ごとに回ってくるKin番号が、その年のKin番号になり、1年間影響を受けることになります。入力フォームに名前と生年月日を入力するとメールで個人Kin年表を返信します。

続きを読む

関連記事(偉人など個人の投稿順)

片桐はいり
片桐はいり(かたぎり はいり)は、日本の女優。大学在学中より劇団「ブリキの自発団」に入団し活動を開始。劇団を退団後も活動を続け数々の役柄をこなし七変化の名脇役として活躍。

続きを読む


徳川家光
徳川家光(とくがわ いえみつ)は、江戸幕府の第3代征夷大将軍。父・秀忠が死去後に最高権力者として幕府機構を確立。大名に参勤交代を義務づけ。日光東照宮を造営。「鎖国」体制を完成。

続きを読む


ベンヤミン・ネタニヤフ
ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエルのシオニズム活動家、政治家。イスラエル建国後に生まれた最初の首相経験者、歴代首相の中で最年少で首相に就任した人物。2023年現在イスラエル首相としての通算任期は15年で歴代最長。

続きを読む


優木まおみ
優木まおみ(ゆうき まおみ)は、日本のマルチタレント。愛称は「まおみん」。白子のりのCMのオーディションに合格し芸能界デビュー。以降はキャスター、レポーター、女優、歌手などマルチに活動。

続きを読む


筒井道隆
筒井道隆(つつい みちたか)は、日本の俳優。数々のトレンディドラマで主演して脚光を浴びます。その後、三谷幸喜作品に出演しコメディー路線も確立。舞台にも出演。

続きを読む


偉人など個人の一覧はこちら

関連記事 (Kin231)

佐々木希
佐々木希(ささき のぞみ)は、日本の女優、ファッションモデル。夫は渡部建。『週刊ヤングジャンプ』の「ギャルコンJAPAN」初代グランプリ受賞者。ロッテのガムのCMに出演し独特な振付で踊る姿が話題。

続きを読む


五輪真弓
五輪真弓(いつわ まゆみ)は、日本のシンガーソングライター。1972年に「少女」でデビュー。1980年に「恋人よ」が大ヒット。第22回日本レコード大賞金賞を受賞。2022年にデビュー50周年を迎えました。

続きを読む


三沢光晴
三沢光晴(みさわ みつはる)は、日本のプロレスラー。全日本プロレスで2代目タイガーマスクとしても活躍。マスクを脱ぎ捨てレスラーとして活躍。その後、プロレスリング・ノアを旗揚げ。試合中に亡くなります。

続きを読む


ローラ
ローラは、日本で活動するバラエティタレント、ファッションモデル、歌手。会話の合間にペロッと舌を出したり頬を膨らませたり、タメ口で接するキャラクターで知られています。

続きを読む


淡谷のり子
淡谷のり子(あわや のりこ)は、日本の女性歌手。日本のシャンソン界の先駆者であり「ブルースの女王」と呼ばれます。晩年は『ものまね王座決定戦』の名物審査員として活躍しました。

続きを読む


関連記事 (歌手)

大貫妙子
大貫妙子(おおぬき たえこ)は、日本のミュージシャン。愛称はター坊。山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。解散後にソロで活動。「メトロポリタン美術館」「We miss you 愛のテーマ」などが有名。

続きを読む


Toshl
Toshlは、日本のミュージシャン。X JAPANのボーカリスト。ロックスターとして一世を風靡。しかしX JAPANから脱退。洗脳され365日ほぼ休みなく様々な場所で公演。その後、X JAPAN再結成。洗脳が解け約12年にも及んだ苦悩と体験を語ります。

続きを読む


和田アキ子
和田アキ子は、歌手、タレント、女優、司会者、ラジオパーソナリティ。1968年にデビュー、1985年にアッコにおまかせ!の司会を担当。紅白歌合戦には現在もなお連続出場しています。

続きを読む


山崎まさよし
山崎まさよし(やまざき まさよし)は、日本のシンガーソングライター、俳優。初の主演映画『月とキャベツ』のテーマ曲「One more time, One more chance」でブレイク。

続きを読む


谷村新司
谷村新司(たにむら しんじ)は、日本のシンガーソングライター、タレント。堀内孝雄、矢沢透とアリスとして活動。解散後にはソロ活動。代表曲に、「昴 -すばる-」、「三都物語」など。

続きを読む




sponsordLink



コンテンツ一覧

調べる

知 る

楽しむ

参加する

聞く

なんとなく

メルマガ

おすすめ人気記事

インスタ