今日のエッセイ的な何か 10月5日(Kin30)「場」と「場」のコミニケーション

またTwitterのはなしで申し訳ないのだけど、まだまだ「楽しさ」が続いています。→マヤ暦|神聖暦ツォルキン
産まれて82日目、281の言葉を発し、500サイズくらいです。

たとえるなら、「子ども」が少しずつしゃべれるようになって、ワタシの話したことに反応している感じです。

子どもがしゃべれるようになると、なんとなく忙しい感じになってきます。140文字の「栄養」を与え「いのち」を見守っている感じとよく似ている。「いのち」だから「生きてない」といけないわけで、そうなると生きていくためには、何が必要かと考えています。

ここ2週間は、ワタシの内側で大切にしている「言葉」たちを、いくつも言語化する作業をしてるのだけど、大切にしていた言葉たちがたくさんあることに倖せを感じています。ありがたい。

ほんのちょっとでもいいから、「この場所」がコミニケーションのお手伝いになれたら、みたいな感じで思っているけど、そのうちそうもいかないんだろうなーとも、ほんのちょこっとだけ覚悟をしているのであります。

子どもが他の人を傷つけることもでてくるかもしれないし、傷つけられることもあるかもしれない。仲良かった人と行き違いで疎遠になるかもしれない。もしかすると、朝、その場所に行くといきなり、やりとりをしていた人がいなくなっていることもあるかもしれない。仲良くなれない人はいてもいいけど、そういう人が攻撃してくる可能性もあるわけで、そう考えるとなんだか実社会とそう変わらない関係性が「Twitter」にもある。

やっぱり攻撃されるのは、いい気分はしないけど、仮にもし、攻撃してきた人がどんな言葉を使う人なのかがわかるソーシャルの世界は、ワタシの感情を収める追跡がしやすいものであることはいいことなのだと思いながら育てている感じです。

・「言葉」たち書く上で、「感情」とはわりと仲良しだったりすることもなんとなくわかってきたわけです。感情を言葉におこしていくと、「喜び」「悲しみ」「嫌悪」「恐怖」「怒り」の5つの基本の感情があって、この2つの感情が組み合わされると、複数の感情が生み出されることを聞いたことがあり、探してみたら、Voxがチャートにまとめていました。

例えば、
・「ヨロコビ」と「カナシミ」で「憂鬱」になる。
・「ヨロコビ」と「ビビリ」が混ざると「驚き」になる。

5つの感情が組み合わせ方で、新たに生まれる15種類の感情

5つの感情が組み合わせ方で、新たに生まれる15種類の感情


アニメ映画『インサイド・ヘッド』をみられてない方には簡単に、以下を。(ネタばれあり。)

・ヨロコビ=人をハッピーにするし、面白い遊びを思いつく
・ビビリ=人を恐怖や危険から守ってくれるが、慎重にし過ぎてしまう
・ムカムカ=嫌なものを遠ざける断る力を発揮してくれるが、怒りの導火線を引いてしまう
・イカリ=時に決断力になるが、如何せん怒りなので抑制が効かない
・カナシミ=みんなを盛り下げるし、足手まといだし、ネガティブに次ぐネガティブで救いようがない

怒ってる時も、ムカついてる時も、恐れている時も、そして悲しんでる時も、それには理由があって、頭の中では色々と葛藤が繰り広げられていると思うと、冷静になれますし、優しく接しようと思えるのです。

ちなみに映画の内容としては、反抗期を迎えた一人の少女ライリーの引越し先での葛藤のストーリーです。それだけの物語なのですが、少女ライリーが引越した学校に馴染めず、そこから感情の崩壊が起き、脳内でヨロコビとカナシミの大冒険が繰り広げられるという映画なんですが、カナシミの必要性の答えが示されており、他の人の見方が変わったり、やさしくなれるのではないでしょうか

なんか映画の感想を書いた感じになちゃいました。けど、

・話を戻すと、「言葉」と「時間」が人のうえに積もっていくのは、ほんとうに嬉しいことなんだなぁ。じぶんが書いた文章を誰かが読んでくれて反応がある、そういうことができる場所があることは倖せです。じぶんが書きたいというだけで書く文章もありますが、まぁそれはそれということで。

もう一度書くけど、誰かに「伝わる」ということは、ずいぶん嬉しいものです。

2016年10月5日(水) Kin30(白い犬 – 青い手 音4)



今日のエッセイ的な何か 09月23日(Kin18) Twitterは面白い

2ヵ月前からTwitterをはじめました。→マヤ暦|神聖暦ツォルキン

個人アカウントももちろんあるのですが、ちゃんとつぶやこう!と思って始めたことです。なんとなくの決意表明というか、まぁそんな感じでした。

今更なのだけど、Twitter面白いのです。

最初の1ヶ月目は、「今日どんな日」のアップバージョンをつぶやくだけだったのだけど、「いいね」が増えると嬉しくなる。ここ最近は、何やら独り言を呟いてみたり、1人で笑ってみたり、ほっこりしてみたりと誰かと喋っていたりとTwitterで楽しめるようになってきました。

Twitterで「なにか」書くことは、「話体」に近い。いま書いている言葉に対して、これを読む人がどう思って、なにを反応するかみたいなことが文字となっていく。ふつうの人が何を感じたとか、思ったコトが流れてくる。すっごいドラマとかじゃないふつうの日常がいいなー。って思うのです。

性格がにじみ出るような端的な文字や雰囲気は伝わりやすいし、ツイートの140文字はななめ読みできるいいボリュームメディアなんだと思うのです。

もちろんブログやサイト、facebookも、過去記事を読むことはできるのだけど、「本当に興味がなかったら」なかなか「過去記事を読む『行動』」に至らない。

新聞や報道の世界のことを悪くいうつもりはないのだけど、第三者的な視点、客観的な視点から発信することが求めらる世界で生きている人からすると、ネットメディアは理解しずらいメディアなんだということなんだろうなーとも同時に思ったのです。当事者になれないメディアから発信されることの信用性は薄くなってきている。信用できないことがあることがわかってくる。だからこそ、そこから発信される情報源をもとに、個人それぞれが思ったこと感じたこと、考えたことを発信していく「場所」があり、本当に知りたいことがわかってくる世界になってきたのはネット社会の恩恵だと思うのです。

もちろんフィルタリングも必要ですが、ネットの進化によってイロイロなものが可視化されていく。

匿名がいけないわけじゃないけど、でも名前がでないからと言って批判をすることは、いい世の中をつくっていきずらくなります。誰がどんな言葉で何を発信したか?ということがわかるようになってきたから、個人ブログの匿名の炎上なんてことに「重き」をおかなくなるし、「賛成です。」「いいですね。」って意見も簡単に表明できることはとても健全で、大きなエネルギーを生み出すよね。

アファメーションとか次の時代とか言うつもりはないけど、2008年の日本でのTwitter出現によって、ネット社会のモラルがだいぶかわってきたと思うのでした。

「独り言」のように呟いて(ツイートして)して、それを聞いた(読んだ)まわりの人が乗っかる形で「ツッコミ」を加えていくところって面白い。学生時代の休み時間の教室みたいな感じで、ワイワイできるといいな。なんて思ってTwitterやってます。

2016年9月23日(金) Kin18(白い鏡 – 白い魔法使い 音5)



今日のエッセイ的な何か 09月14日(Kin9) 「ものさし」の長さ 

思ったより復活に時間がかかってるけど、じわじわ回復してきています。

自分に元気があるかどうかなんて、わからない。

なんかおかしいなー。だるいなー。とか思って、ふと考えると、朝からいつもやってることが出来なかったりとかで、なんとなく元気がないぞ。と気づくわけです。

客観的指標は「体温計」くらいで、客観的指標がない「不調」だってある。

NTTのCMでやってるバイタルデータとICTを使用して人の「ココロの視える化(本気な度合)」なんてことが出来てるし、「スカウター -戦闘力測定 – 」なんていうアプリもある世の中だから、元気を図るスカウターみたいなのが出来てて、パシャッと取ると「今日の体調」とかわかるようになってて、「今日はむりしないでおこう。」とか「今日イケてるから、あれあれもついでにやっておこう」みたいに調整できる世の中はそう遠くはないのだと思うのです。

相性占いや、誕生日占いや生年月日占いマヤ暦にも同じような見える化、求められてるのは知ってる。

しかも万人に効く納得するレベルのものを・・・。

占いや「暦」は、答えではないのです。

最終的に受け取る側がそれをどう利用するかある程度賢くないと使いきれないデータ。結果をはずすことはとても簡単で、自分にとって良い流れをつくるいいツールだと思ってくれればいい。

「良いことを言われ何もしなかった」のであれば、「何もなかったこと自体がよいこと」になってしまう。そこは視野を広げたり、行動したら、たくさんのモノにふれる機会が増えるわけで、「良いこと」も得られるかもしれない。

ツールの使い方は人それぞれ。

聞いて打ちひしがれて生きる人もいる。
聞いて恨みながら生きる人もいる。
聞いて聞いて反応して動く人もいる。
聞いて同じところから動けない人もいる。

「ものさし」はそれぞれ違うのです。

聞いても、また悩みはでてくることもある。これもまた人生。

思いもよらないハプニングの出会いから、そういうことを考えていました。

じわじわ回復なんて言葉を使いましたが、どうやら3連休くらいのときに、台風が沖縄いらしゃるようです。低気圧が若干苦手なお年頃になってます。

2016年9月14日(水) Kin9 (赤い月 – 赤い竜 音9)



今日のエッセイ的な何か 09月09日(Kin4) 何が正解なのか。正解はないし、すべてが正解。

どうも息が切れるなぁとか、眠いなぁとか思ってたら、やっぱり風邪ひいてました。37度ちょっとで、少々頭が痛いというくらいなので、土日に静かにしていれば治ると思います。

なんとなくですが、当サイトを運営していると、切れてるようで微かにつながっている、ふわっとした「なかま」みたいな存在がいるという感覚を勝手に抱いています。

イベントでちょこっと話しただけの知り合いとか、同僚の妹さんが毎日見てくれてる。っていうのを知ったりとか、勉強会で隣に座った人がマヤ暦の本を持ってて見てあげましょうか?と言われたりとか。笑。ITというかWebというかサービス界隈の人には、トラフィックどうやってるの?とか難しいことを聞かれたりすることも増えてきました。

ここのところのワタシは、映画をみて、お菓子をつくって、サイトを修正してみたいなことをやってますが、ややこしいこともいっぱいあります。

映画やドラマでは、なんだかんだと「悪い人」と「いい人」がいて、犯人が居てわかりやすいストーリなんですが、現実問題はそうじゃない。加害者と被害者の境目はグレーで切り分けははっきりしない。

最後は、みんな大変だね。人は完ぺきじゃないね。ってところで落ち着く感じだと思うのです。

とりわけ社会人になると、「正解がない世界」で、自分の意見を持つことは大変なことなんだなぁと思うし、正解がないから意見が持てないこともあるのも事実で、ワタシ自身もそういうことはあるし、俯瞰すると痛いなー。と思うのであります。

世の中では、正解を探して、回答し続けることを求められる。

自分の意見を持っているつもりで自分なりの正解を出しているのに、やっぱり「これは正解なんだろうか」と思うのが人間。正解もひとつじゃないかもしれない。

正解はない。そしてすべては正解。

お腹の奥底から正解なんてない!と思えたら、どんな意見がでてきても、相手を尊重できるんだろうと思います。

自分なりの正解を持って、多様性を認めあう世界ってすばらしいよね。サイト運営にも正解はない。ってことでいいかな。

冒頭に戻りますが、ワタシは季節の変わり目を祝って、「風邪でもひいておくか」みたいな感じです。

2016年9月9日(木) Kin260 (黄色の種 – 赤い竜 音4)



今日のエッセイ的な何か 09月05日(Kin260) 飽きる。飽きない。

 TOP管理人のつぶやき → 2016年9月5日(Kin260)

さっくん(仮)(3歳4ヶ月)の身長は、95㎝。つまりはワタシの身長の2/3以下。

そしてそれは、おそらくワタシの見えるすべての世界が倍以上の大きさに見えている。ハズ。

そういう観点で子どもを見ていると、スゴイなと思うわけで、おもいっきりつきあってあげたい。そして公園にある滑り台は子どもの身長の3倍以上はあるわけなのですが、ワタシと一緒だからなのかもしれない壮大な安心感の元だから躊躇なく滑べっていくさっくん(仮)は好奇心の塊でしかないと思うのです。

帰ろうよ。の言葉もまったく聞かず、ワタシのやる気のダダ下がりにはまったく気にせず、自分の感情の優先順位だけを持って、またすべりに行く。

彼の脳内での生化学反応に一定の「意欲・希望・自信」の習慣付けが出来ている為と言い換える事が出来きる。とかっこよく書いてみたけど、やっぱりどうにかならないのかな。と思うのであります。

そうすると、こんな文章を見つけました。

3歳までに刻み込まれた思考パターンは、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、それを変えるには、その後10年かけても足りないと言われています。それほど、真っ白な心に刻み込まれる「思考パターン」「価値観」はとても強いのです。

ということは、どこで切り上げればいいのだろうか?さっくん(仮)(3歳4ヶ月)が「飽きる」まで待てばいいのだろうか。その「飽きる」の正体がわからないし、もしかするとずっと「飽きない」のかもしれない。さっくん(仮)(3歳4ヶ月)はかわいいし、面倒をみたくないわけでもない。つまんなくなったから・・というわけでもないのだけど、そろそろ帰りたい。というのが本音のわけです。

グルグルと何度も滑り台をすべり、炎天下の8月の沖縄の真昼間の公園で、「ママ見てー」「さっくん(仮)かっこいい?」をテープレコーダのように何回も言われると、なかなか根気のいる作業であることには間違いないのです。

受け取る側(ワタシ)と発信する側(さっくん(仮))の情報の鮮度が減ってきているからだから、こちらも「飽きてくる」。「情報の鮮度」をあげれればいいのだろうけど、どうやってあげたらいいのかがなかなかわからないダメなお母さんなのです。そんなことを考えながら、30分つきあったけど、なかなか「飽きてくれない」ので、「最後の5回、一緒にすべろう!」と言うと更にテンションが上がる!

最初から一緒にやれるほど体力はなくてきっとグズグズになちゃいますが、一緒に見ている情報を増やすことで接点が増え会話が増えるのは、子どもも大人も変わらないことを学んだのでした。

飽きずに何度も滑り台

飽きずに何度も滑り台

なんにせよ、どこで何をしていても生きぬくという体力はつけてあげたい。

2016年9月5日(月) Kin260 (黒kin) 黄色い太陽 – 黄色い星 音13



今日のエッセイ的な何か 09月02日(Kin257) ある程度の欲望は原動力になる。

 TOP管理人のつぶやき → 2016年9月2日(Kin257)

・欲望

欲望はあっていいし、なくす必要なんてない。欲望は持ってますよ。って言っていいし、欲深くていい。と思うのです。

「人」は欲深いものだし、欲張り。

もっとシンプルな言い方をすれば、欲張りって言えることは、自分の感情に正直なだけだし、そもそもその感情を認識しているってことと言い換えられると思うのです。

いいお家に住みたいとか、いい車に乗りたいとか、カッコイイ人とつきあいたいとか、海外旅行いきたいとか、人ぞれぞれ、多かれ少なかれ欲望はあるし、だから頑張れるってところがあるのも事実だと思うんです。

もちろんワタシにも欲望はある。(割といっぱいある)

欲望の無い人なんでいないと思うのです。

「欲張りは身を滅ぼす」なんて言葉もあるけど、それは、「欲」のバランスが取れてないからだと思うのです。

それが相手だったり、世の中との等価交換だけであって、だったら相手の「欲」もかなえてあげればいい。

ある程度の欲望は原動力になる。

限度を超えて欲望を満たそうとすれば、それはあたりまえに自然の摂理にそむことになるし、ねじれを生む。

イロイロな人をみて、話して、会ってみて、それでこの人は幸せそうだなーと思える人が居たらその人は「欲」と「自分」とのバランスが取れてる人なんだと思うのです。

誰もが産まれてきて、イロイロなモノを身に付けて、アレアレの成長をして「自分」になる。

痛い想いもするだろうし、しただろうけど、それも含めて、「ワタシ」なんだなー。

俯瞰的に見ると、人生を楽しめている人たちに共通するのは、執着することも、固執する事も、嫌悪することもなく、バランスが大事だと思うのであります。

バランスって難しい。

昨日は300メートル先の呑み屋にて朝までビールを呑んでみました。

欲望をおさえられませんでした。

今日も、ふつうに朝は来ます。

2016年9月2日 Kin257(赤い地球 – 黄色い星 音10)



今日のエッセイ的な何か 08月31日(Kin255) 自分の人生を楽しくできるのも自分

 TOP管理人のつぶやき → 2016年08月31日(Kin255)

世の中、おもしろいものって結構いっぱいあると思うんですけど、同時にかなり埋もれてるものもあると思うんです。

見たことも経験したこともないのに、批判したり否定をしたりする人がいる。

それはそれで「もったいないなー」と思うのです。

さっくん(仮)(3歳3ヵ月)が紙を折っていたので、「何をつくっているの?」と聞いたら、「保育園でつくったようにつくる。」と。

いやいや。そもそも「何をつくっているの?」と聞いたのに、「保育園でつくったようにつくる。」と。

結構ショックだったわけです。

周りと同じことをさせることってどうなのだろう。自分で考えて試さないの?と・・・。

それもまた「もったいない」と思うのです。

ワタシの小さいころは。。。みたいなことを言う気はないのだけど、面白い本もたくさんあるし、映画やイベントもある。

人生を楽しませようとしている人もたくさんいるのです。

もしかすると体験した人も「自分に合わなかった」だけで、どんなものにも、面白さや楽しさはある。

まさにそれを探すのが人生で日々の時間をどれだけ楽しむかが大切なのです。

じっと待ってても変わらない。TVを見てたって新しい出会いはない。

「お金がない」「時間がない」「友達がいない」と言ってないで、少しくらいの無理をして自分の人生を楽しくすることも必要なんじゃないかな。

自分の人生を楽しくできるのも自分。

他の人が楽しませようとしているものに気づかなかったら、「無い」のと一緒になる。

いろんなことに意識をもってたら、楽しいことや、面白いことが簡単に見つかる。そうすると楽しそうにしている人にはもっと楽しいことや面白いことが寄ってくる。

だから、小さくていいから「楽しい」や「面白い」種を探してみるといいと思うのです。

「静止摩擦力」と一緒。

テーブルを押してもなかなか動かない。けど一定のチカラが加わると動く。物体を動き出すというところに、1番力を入れる必要がある。逆に1度動き始めると、摩擦力は小さくなっていくんです。

人生の楽しみ方も物理の理論も一緒。

いやー、実に面白い。

そういえば、ホリエモンも言ってた。「面白いということを軸に世の中を変える」 って。

「面白い」という気持ちを大切にすること、それを軸に社会を良い方向に変えていくことは重要だよ。って。

結局、会いに行った感想書いちゃった。

ホリエモン:kin114 (白い魔法使い-赤い蛇10)

2016年8月31日 Kin255 (青い鷲 – 黄色い星 音8)



今日のエッセイ的な何か 08月20日(Kin244) 「おもしろい」とは何か?

 TOP管理人のつぶやき → 2016年08月20日(Kin244)

おもしろい、とは何か?

・くだらないけど、実は非常に難解

哲学的なことからの回答をすると答えはでないのだろうと思う。

だけど、モノを書いたりするとある種の答えを見つけて行かなければいけない。これがかなり難解なのです。

例えば、経済のことについて考えてみたとする。それは専門家が直接論議し、その時々の国内外の情勢を見て判断することで、ある程度の答えは出せる。

それが結果的がでようがでていなかどうがとかじゃなくてある程度の答えは出せる。

おもしろいとはわずか5文字なのだけど、その意味は人類の数だけ意見は食い違うし答えは枝分かれするのだと思うのです。

・おもしろい=ためになる
知識を増やせることをおもしろいという人もいるかもしれない。

・おもしろい=爆笑できる
笑うタイミングは違えどドストライクで考えると、状況は違えど単純に人を笑わせるモノを見たいときにでてくる感じなのかもしれない。

・おもしろい=興味深い
読み解くと意外な方向にいくからおもしろいのかもしれない。

自分にとっておもしろいものと、人にとっておもしろいものって違うのはわかっているのだけど、それでも、どっちも共存できないのかなんて思うわけです。

市場が求めているものだけを追っていけば、それはそれで認知される。

あの宮崎駿さんも、「自分の作りたいものを作ってるわけじゃないんだよ。楽しんでもらえたら、自分の存在が認められる」と言ってました。

庵野秀明さんは、「”見てよかった”みたいなのをお客さんに返す仕事だと思うんですね。少なくとも、サービス業である以上、お客さんに何かしらそういう”良かった感”みたいなモノをあげなきゃいけない。」と言ってます。

世の中の人に認知されるように、監督の想いやマーケティングをして「売る」ってことを徹底的にやった結果なのだと思うのです。

「おもしろい」ってことは、運営者の書きたいことと、遊びにきてくれる人が読みたいこと」の両立がある程度できてることなんじゃないかな。

当サイトを立ち上げて5年。

宮崎さんみたく、鹿野さんみたく遊びにきてくれるみんなが食べたいと思うメインディッシュは手を抜かず、自分が伝えたと思う副菜は、見ても見なくてもいい「サービス」であるけど、副菜によって、満足度は変わる。的な。また食べたい(遊びに来たい)と思ってもらえる中毒性。

そんな中毒性のある居場所つくりに邁進してます。

2016年8月20日 Kin244 (黄色の種 – 青い鷲 音10)



今日のエッセイ的な何か 08月12日(Kin236) 健全な好奇心

 TOP管理人のつぶやき → 2016年08月12日(Kin236)

・健全な好奇心

twitterでもつぶやいたようにホリエモンの講演を聞ました。
(ホリエモンの講演についてはまた別日に・・・。書くかな?わからんけど)

その後に中学生向けの塾を経営している友人と、新卒採用企業の人事をサポートする役割をしている友人とお酒を呑んでいるときに、「子どもの学びたい意欲をどう育てるのか?」という話になった。

そもそもは、「採用」についての話からだったのだけど、学歴や親の収入の関係性だったりとかがどう影響するのか

→でもそれは「親次第で子どもの好奇心の育ち方は変わる」って話になったのです。

そこで教えてもらったのは、「子どもと一緒に図鑑を読むこと

図鑑で一緒に見たものを、動物園や水族館で見て、また自宅に帰って図鑑を見る。

この繰り返しが子供にとっては多きな知識のストックになる。「教えて!」と来たら、「お母さんもわからないから図鑑で調べてよ。」と言って、また図鑑を見る。

そうなると自分で調べる習慣にもなる。

いいこと尽くし。と思い、影響うけまくりのワタシは早速購入しました。

世界一美しい昆虫図鑑

世界一美しい昆虫図鑑

こういう面白さの本質って何なんだろうと考えてみると、「未知のものを知りたい」ってことなのかなと思うのです。

子どもにとって「知らないもの、見たことがないものがたくさんある」

この楽しさの本質がわかっていれば、「図鑑」だろうが、「本」だろうが面白さを「外す」ことなんてなくなる。

「はじまりをはじめる」少しだけ動いてみる。自分で考えてみる。そういうことができるようになってほしいと欲張りに思ってしまう。

・なんか、いつかの自分への備忘録みたくなちゃったけど、うちで一番最初に買った図鑑は「アンパンマン大図鑑」。キャラクター多すぎで、あいうえお順の索引もできる。

あきずに、ひたすら持ってきては読んでほしいとねだってくる。

意味があること(出来れば昆虫図鑑を見てほしい)に取り組むことを「努力」と呼び、意味がないと思われがちなことに時間を割くことを「無駄な時間」と呼ばれる。

さっくん(仮)(3歳3ヵ月)にとっては、アンパンマン図鑑でキャラクターの名前をひたすら読み上げてくれるワタシが今は一番大好きみたいだけど、少なくとも、子どもの好奇心のさまたげになるようなことをしない大人でありたい。

「好奇心」=「何に対しても楽しめる能力」が身に付いているかどうかで、これからの人生で引き寄せる「出会い」や「経験」の量と質が変わってくるし、健全な好奇心は何者にも変えがたいと思ったのです。

今をちゃんと味わって生きていない人に、未来の豊かさなんて来ないと思う。・・・とでも言っておこうかな。

今日のtwitterで、味わうトレーニングについて、つぶやいてます。
よかったらtwitterもフォローしてください。

2016年8月12日 Kin236 (黄色い戦士-青い鷲 音2)



今日のエッセイ的な何か 08月08日(Kin232) スタートアップ(起業)に求められること

 TOP管理人のつぶやき → 2016年08月08日(Kin232)

はたらくということ

・起業家支援のイベントへ行ってきた。

イベントで起業家の孫泰蔵さんの講演をはじめ、様々な分野で活躍中のゲストたちのグループトークやディスカッションがあって、音楽があって、「力をあわせて沖縄を盛り上げていきましょー」の熱意は伝わったし、盛り上げてサポートする側の決意表明は面白いなーと思ったわけです。

じゃ、スタートアップ(起業)に求められていることはなんなのか?

「日本の教育制度に問題がある」とか「日本の政治が破綻している」とかお決まりの「誰か」が賛成しそうな答えではないような気がする。

新しいアイディアをかたちにしようするとき、世界を新しい視点で見ようとするとき、非常に居心地の悪い思いをすることになる。

そこは「聡明さ」よりも、「定説や常識を打ち破る勇気」が必要になるし、今の世界には、天才よりも勇気のある人のほうが不足しているんじゃないのかな。と。

「新しいことをはじめるときの本質的な課題」なのです。

起業家は唯一無二な地位を築こうとするわけで、つまり、「独占」を目指すわけです。

社会にとって、「独占すること」がいいことなのか悪いことなのかは、わからないけど、企業側から見ると、やはり「独占する」というのはとても魅力的なことだと思うのです。

競合がいないということは、ものすごく独創性の高いことを、非常に上手にやっているということになる。

ビジネスにおいての「独占」対「競争」の考えこそ、とっても重要でかつ大切であるにもかかわらず、多くの人々がなかなか理解できていない。

Googleだって、Appleだって「テクノロジー企業」と自分たちで言っているように、ライバルにわずかに差をつける努力をするよりかは、画期的なイノベーションに集中した方が良いよね。という考え方は合理的だと思うのです。

・全員が全員スタートアップする必要もないし、
エンジニアになれ、とも、起業しろ、とも言う気はないのだけど、
ワクワクすることが見つからない人には、

「絶対にやりたくないことからは逃げる」とココロに決めること。

「絶対に」って思えないなら、文句を言いながらでもいい。逃げずにやり遂げろということ。そうしているうちにワクワクが見つかると思う。

新卒採用すると、自分の人生と対峙させられるなー。

追記:「マヤ暦|ツォルキン暦」の当サイトは、起業ではなくプロダクトです。

今日も当サイトに遊びにきてくださりありがとございます。沖縄は雨です。雨は雨のペースでまったりしてます。

2016年8月8日 Kin232 (黄色い人-白い風 音11)