5,840 views

歌手・淡谷のり子の誕生日占いと人生鑑定

 TOP誕生日占い個人の人生を鑑定 → 淡谷のり子

記事公開日:2018年11月18日
最終更新日:2024年02月14日

淡谷のり子
出典:wikimedia.org 1930年代

淡谷のり子(あわや のりこ)は、日本の女性歌手。

日本のシャンソン界の先駆者であり「ブルースの女王」と呼ばれます。
晩年は『ものまね王座決定戦』の名物審査員として活躍しました。
叔父は元社会党の代議士・淡谷悠蔵。

このページでは、淡谷のり子(あわや のりこ)の生年月日から求めた誕生日占いと、歩んだ人生と個人Kin年表との鑑定を行います。

淡谷のり子(あわや のりこ)の誕生日占い

生年月日:1907年8月12日

誕生日から算出したツォルキンバースディはKin231です。

太陽の紋章(健在意識) ウェブスペル(潜在意識) 銀河の音
青い猿 白い風 音10
ガイドをしてしてくれる ガイドkin 青い嵐
互いに学びあう 反対kin 赤い竜
互いに秘かれあう 神秘kin 白い犬
以てるもの同士の類似kin 黄色い星
鏡の向こうのもう一人の自分 kin30
絶対反対kin kin101

誕生日占い(性格診断)の簡易説明

「音10」は、見えない部分で力を発揮し、土台を作成する能力に長けています。誰かが出したアイディアを形にするのも得意です。プロデュースやアドバイザーに向いていますが、若干緻密さにかける一面があります。人格的で従順な人が多く、おおらかな反面スピード感が無く思われがちです。

「白い風」は、人との共感やつながりをとても大事にします。人の心の動きに敏感です。他の人が感じないようなことまで感じる人です。

「青い猿」は、聡明で頭の回転が速く知性・理性・精神性が高い天才型人間です。どんな小さなことでも楽しみや喜び・満足を見出す人で、楽しくない状況すらも楽しみに変えることができるパワーを持っています。

ひとことでいえばKin231の誕生日占いは、自分の力を過信しやすいタイプです。助言に耳を傾けるのが大事です。心を引き締め足元に注意しスタートすること。

広告

淡谷のり子(あわや のりこ)の個人Kin年表と歩んだ人生を照らし合わる

青森市で呉服店を営む豪商「大五阿波屋」の長女として生まれます。
「大五阿波屋」は、明治から大正期に青森屈指の豪商で、のり子が生まれたころは奉公人30人以上を抱えいつも賑わっていたそうです。

上京

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1910.8.12~ 3 26 13 白い世界の橋渡し 白い魔法使い
1923.8.12~ 16 91 13 青い猿 青い嵐
1924.8.12~ 17 196 1 黄色い戦士 黄色い戦士
1910年に青森の大火で生家が没落。父は再建を目指し奔走しますが10代に実家が破産。
黙って夫に従っていた母は家を捨てるのを決意し離婚。1923年に高等女学校を中退し母と妹と共に上京。
東洋音楽学校に入学しオペラ歌手を目指すためクラシックの基礎を学びます。
実家が貧しかったために絵画の裸婦のモデルを務めるなどして生活費を稼いだそうです。

ウェブスペルの色が白色の最後の年に大火で生家が没落。
青色の最後の年に実家が破産し上京。音楽学校で学びます。

歌手デビュー

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1929.8.12~ 22 201 6 赤い竜 黄色い戦士
1930.8.12~ 23 46 7 白い世界の橋渡し 黄色い太陽
1931.8.12~ 24 151 8 青い猿 黄色の種
1929年に東洋音楽学校を首席で卒業。当時クラシック歌手として生計が立たず流行歌を歌います。
1930年に「久慈浜音頭」でデビュー。同年「夜の東京」がヒット。
しかし東洋音楽学校は当時低俗な流行歌を歌ったとして卒業名簿から淡谷のり子の名前を削除。後に1963年に起きた東洋音楽学校の内紛で淡谷のり子を中心に卒業生たちと理事たちの異常な行為を糾弾します。
1931年に古賀メロディーの「私此頃憂鬱よ」がヒット。

ウェブスペルの色が黄色の半ばに音楽学校を卒業。その後デビュー。

ブレイク

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1935.8.12~ 28 51 12 青い猿 黄色い太陽
1937.8.12~ 30 1 1 赤い竜 赤い竜
1938.8.12~ 31 106 2 白い世界の橋渡し 赤い蛇
1939.8.12~ 32 211 3 青い猿 赤い月
1935年に「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号となります。
1937年に服部良一作曲の「別れのブルース」が大ヒット。翌年「雨のブルース」もヒット。「ブルースの女王」と言われます。
1938年に結婚しますが、翌年離婚。淡谷のり子は以降生涯独身でした。

ウェブスペルの色が赤色の始めの年に「別れのブルース」が大ヒットしスターとなります。
赤色の始めころに結婚・離婚。以降、生涯独身でした。

戦時下には多くの慰問活動を行います。
自身のバンドで慰問活動を行い、当時禁止されていたブルースを歌い、担当将校を涙させたこともあった。

戦後

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1948.8.12~ 41 116 12 黄色い戦士 赤い蛇
1952.8.12~ 45 16 3 黄色い戦士 白い魔法使い
1953.8.12~ 46 121 4 赤い竜 白い鏡
1948年に「嘆きのブルース」「君忘れじのブルース」がヒット。
1952年に「枯葉」、1953年に「愛の讃歌」などシャンソンを好んで歌うようになります。
1953年に紅白歌合戦に初出場でトリ。初出場でトリを務めたのは第1回以外では淡谷のみです。

ウェブスペルの色が白色の前半よりシャンソンを好んで歌うようになります。紅白歌合戦に初出場。

辛口コメント

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1963.8.12~ 56 131 1 青い猿 青い猿
1965.8.12~ 58 81 3 赤い竜 青い嵐
1970.8.12~ 63 86 8 白い世界の橋渡し 青い嵐
1971.8.12~ 64 191 9 青い猿 青い夜
紅白歌合戦に出場後からテレビのオーディション番組の審査員やバラエティ番組などに出演するようになります。
1963年に母校の東洋音楽学校の内紛で淡谷のり子を中心に卒業生たちと理事たちの異常な行為を糾弾
1965年に紅白歌合戦で辛口で賛否両論を巻き起こし話題となります。
大物とされるような歌手であっても嫌いな歌手に関してテレビ番組等で堂々と公言。
1970年代前半には、『全日本歌謡選手権』(よみうりテレビ)の審査員も務めます。

ウェブスペルの色が青色の始めの年に母校の東洋音楽学校の理事たちの異常な行為を糾弾
青色の前半に紅白歌合戦で辛口コメントで話題となります。
青色の後半に全日本歌謡選手権の審査員も務めます。

晩年

期間 KIN 太陽の紋章 ウェブスペル
1988.8.12~ 81 156 13 黄色い戦士 黄色の種
1993.8.12~ 86 161 5 赤い竜 赤い地球
1999.8.12~ 92 11 11 青い猿 赤い竜
1988年からフジテレビ『ものまね王座決定戦』の名物審査員として活躍。10点を出さない審査員として有名でした。1993年に降板。
85歳で新曲を発表するなど、晩年まで歌手として精力的に活動を続けます。1993年に脳梗塞で倒れ仕事を控えるようになった。
1996年に後輩たちによって淡谷の米寿記念コンサートが行われた。森進一美川憲一など出演。この時寝たきりの療養生活でしたが久々に姿を現します。
1999年9月22日に亡くなりました。

ウェブスペルの色が赤色の半ばに淡谷の米寿記念コンサートが後輩たちによって行われます。
赤色の最後付近に亡くなりました。

淡谷のり子(あわや のりこ)のまとめ

個人Kin年表のウェブスペルの色で流れを見てみると

白色の最後の年に大火で生家が没落。
青色の最後の年に実家が破産し上京。音楽学校で学びます。
黄色の半ばに東洋音楽学校を首席で卒業。その後デビュー。
赤色の始めの年に「別れのブルース」が大ヒットしスターとなります。
赤色の始めころに結婚・離婚。以降、生涯独身でした。
2度目の白色の前半よりシャンソンを好んで歌うようになります。紅白歌合戦に初出場。
2度目の青色の始めの年に母校の東洋音楽学校の理事たちの異常な行為を糾弾。
2度目の青色の前半に紅白歌合戦で辛口コメントで話題となります。
2度目の赤色の半ばに淡谷の米寿記念コンサートが後輩たちによって行われます。
2度目の赤色の最後付近に亡くなりました。

参考資料

☆いろいろ書きましたがすべて個人的な見解になります。

自分で検証を行うには・・・

個人イメージ

あなたのKinを調べる (誕生日占い)

誕生日からKin番号を求め、対応する銀河の音とウェブスペル、太陽の紋章の詳細表示を行う占いです。ご自身のもっているエネルギーに気付きや再確認することがある事と思います。

続きを読む

個人Kin年表

個人Kin年表 (人生占い)

誕生日ごとに回ってくるKin番号が、その年のKin番号になり、1年間影響を受けることになります。入力フォームに名前と生年月日を入力するとメールで個人Kin年表を返信します。

続きを読む

関連記事(偉人など個人の投稿順)

大の里
大の里 泰輝(おおのさと だいき)は、日本の大相撲力士。日本体育大学時代に学生横綱、アマチュア横綱。初土俵は幕下付け出し。それから新三役までの所要場所数は6場所とスピード出世を達成。

続きを読む


岡本真夜
岡本真夜(おかもと まよ)は、日本の歌手。デビューシングル「TOMORROW」は連続ドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌に起用され出荷枚数は200万枚を突破。一躍スターダムにのし上がった。

続きを読む


段田安則
段田安則(だんた やすのり)は、日本の俳優。野田秀樹主宰の「夢の遊眠社」では解散まで主力俳優として活動。朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』でヒロインの父・野田光一役を好演。以降も名バイプレイヤーとして活躍。

続きを読む


栗田貫一
栗田貫一(くりた かんいち)は、日本のタレント。ものまねタレントとして「ものまね四天王」の一人として活躍。1995年より山田康雄の後任の「ルパン三世」の声優を担当。

続きを読む


高橋洋子
高橋洋子(たかはし ようこ)は、日本の歌手。エヴァのOP曲「残酷な天使のテーゼ」や「魂のルフラン」が大ヒット。エヴァ放映終了後も高い人気と知名度を保ちます。

続きを読む


偉人など個人の一覧はこちら

関連記事 (Kin231)

佐々木希
佐々木希(ささき のぞみ)は、日本の女優、ファッションモデル。夫は渡部建。『週刊ヤングジャンプ』の「ギャルコンJAPAN」初代グランプリ受賞者。ロッテのガムのCMに出演し独特な振付で踊る姿が話題。

続きを読む


五輪真弓
五輪真弓(いつわ まゆみ)は、日本のシンガーソングライター。1972年に「少女」でデビュー。1980年に「恋人よ」が大ヒット。第22回日本レコード大賞金賞を受賞。2022年にデビュー50周年を迎えました。

続きを読む


タイガーウッズ
タイガー・ウッズは、アメリカ出身のプロゴルファーです。生涯獲得賞金額1億ドルを突破し歴代1位。数々の記録を持っています。

続きを読む


三沢光晴
三沢光晴(みさわ みつはる)は、日本のプロレスラー。全日本プロレスで2代目タイガーマスクとしても活躍。マスクを脱ぎ捨てレスラーとして活躍。その後、プロレスリング・ノアを旗揚げ。試合中に亡くなります。

続きを読む


奥山玲子
奥山玲子(おくやま れいこ)は、日本のアニメーター。草創期のアニメ業界で活躍。一線を退いてから専門学校でアニメーションの講師、銅板画作家としても活動。連続テレビ小説『なつぞら』のヒロイン奥原なつのモデル。広瀬すずが演じます。

続きを読む


関連記事 (歌手)

高畑充希
高畑充希(たかはた みつき)は日本の女優・歌手。2016年4月に放送した『とと姉ちゃん』ではオーディションを経てヒロイン・小橋常子に選ばれ、連続ドラマ初主演を果たした。

続きを読む


ビヨンセ
ビヨンセは、アメリカのシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優。「デスティニーズ・チャイルド」のメインボーカルを務めた後、ソロで活動し大成功。後にグラミー賞6部門を受賞します。

続きを読む


鈴木亜美
鈴木亜美(すずき あみ)は、日本の歌手、女優、作詞家。旧芸名は鈴木あみ。『ASAYAN』の「小室哲哉プロデュースオーディション」でグランプリを獲得。デビューし一躍アイドルとなります。

続きを読む


笠置シヅ子
笠置シヅ子(かさぎ シヅこ)は、日本の歌手、女優。戦後に「ブギの女王」として一世を風靡。特に東京ブギウギが有名。2023年後期の朝の連続テレビ小説『ブギウギ』のヒロインのモデル。女優の趣里が演じます。

続きを読む


氷川きよし
氷川きよしは、日本の演歌歌手。2000年「箱根八里の半次郎」で演歌歌手としてデビューし音楽賞など数々の賞を総なめ。デビュー以来20回連続でNHK紅白歌合戦に出場。

続きを読む




sponsordLink



コンテンツ一覧

調べる

知 る

楽しむ

参加する

聞く

なんとなく

メルマガ

おすすめ人気記事

インスタ