TOP → 誕生日占い → 個人の人生を鑑定 → 藤子不二雄A
記事公開日:2017年01月16日
最終更新日:2023年10月09日
→ 画像検索はこちら
藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・エー)は、日本の漫画家。本名:安孫子 素雄(あびこ もとお)。
藤子不二雄のコンビ解消後は本名の安孫子で紹介されることも多い。
代表作に「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」などがある。
座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。
このページでは、藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・エー)の生年月日から求めた誕生日占いと、歩んだ人生と個人Kin年表との鑑定を行います。
関連記事
→ 藤子不二雄の誕生日占いと相性占いを診断
→ ドラえもん作者「藤子・F・不二雄」の人生を見てみる
→ マンガの神様「手塚治虫」の人生を見てみる
藤子不二雄Aの誕生日占い(性格診断)
誕生日:1934年3月10日
誕生日から算出したツォルキンバースディは「Kin51(黒Kin) 」 です。
太陽の紋章(健在意識)
ウェブスペル(潜在意識)
銀河の音
青い猿
黄色い太陽
音12
ガイドをしてしてくれる ガイドkin
青い夜
互いに学びあう 反対kin
赤い竜
互いに秘かれあう 神秘kin
白い犬
以てるもの同士の類似kin
黄色い星
鏡の向こうのもう一人の自分
kin210
絶対反対kin
kin181
誕生日占い(性格診断)の簡易説明
「音12」は、人当りのよい雰囲気を持っていますので、人から相談されたり、頼られたり、話を聞いてくれそうな雰囲気のため、自然と人が寄ってきます。組織や集団の中で「相談役」になることが多い人です。 解決をしていく上でキーパーソンになり、問題解決能力に長けています。好き嫌いが激しく、さみしがり屋さんで依存心・依託心を持つ一面があります。
「黄色い太陽」は、小さい頃からしっかり者で明るく、決めたことは最後までやりとおします。「責任」に反応しますので、物事をまかされると力を発揮します。自分中心(太陽中心)と無意識で思っているようで、 多少のことは気にしません。
「青い猿」は、聡明で頭の回転が速く知性・理性・精神性が高い天才型人間です。どんな小さなことでも楽しみや喜び・満足を見出す人で、楽しくない状況すらも楽しみに変えることができるパワーを持っています。
黒Kinですので周囲に強い影響を与えます。
ひとことでいえばKin51の誕生日占いは、自分なりの楽しみを知っているタイプです。奉仕が大事です。人に対する奉仕を心がけなさい。家庭的に苦労しやすい。
広告
藤子不二雄Aの個人Kin年表とその生涯を照らし合わる
富山県氷見市で、お寺の住職の子として生まれます。
10才の頃に父が亡くなり、高岡市に引っ越し。転校先で藤本弘と知り合います。
出会いとデビュー
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1944.3.10~
10
61
9
赤い竜
赤い空歩く人
1945.3.10~
11
166
10
白い世界の橋渡し
赤い地球
1950.3.10~
16
171
2
青い猿
白い犬
1951.3.10~
17
16
3
黄色い戦士
白い魔法使い
1944年9月に安孫子が藤本弘のいる学校に転校してきて同じクラスになった。
安孫子が休み時間にノートに漫画を描いていたところ、それを見た藤本が話し掛けたことで2人は仲良くなり、いつも一緒に遊んでいたという。
1951年に藤本弘と共に投稿した「天使の玉ちゃん」が採用され、共に17歳にして漫画家デビューを果たします。
ウェブスペルの色が赤色の後半に父が亡くなり、引っ越し、転校。転校先で藤本弘と出会います。
白色の始めの頃に藤本弘と共に漫画家デビューします。
富山新聞社
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1952.3.10~
18
121
4
赤い竜
白い鏡
1953.3.10~
19
226
5
白い世界の橋渡し
白い風
1954.3.10~
20
71
6
青い猿
白い世界の橋渡し
高校卒業後の1952年に、伯父が専務を務める富山新聞社に入社します。
学芸部と社会部で似顔絵やインタビュー記事を担当します。
1954年に藤本弘に誘われる形で新聞社を退社。漫画家を目指し上京します。
安定していたサラリーマンに未練があった。藤本の誘いを母に相談したが、「好きにしなさい」と言われ、悩んだ挙句に夢の道に進むことを選んだそうです。
退社の件を、当時社長になっていた伯父に話すと激怒されたという。
ウェブスペルの色が白色の前半に富山新聞社に入社。
白色の半ばに新聞社を退社し、漫画家を目指し上京します。
トキワ荘
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1954.3.10~
20
71
6
青い猿
白い世界の橋渡し
1955.3.10~
21
176
7
黄色い戦士
白い犬
1956.3.10~
22
21
8
赤い竜
白い魔法使い
1960.3.10~
26
181
12
赤い竜
白い犬
1961.3.10~
27
26
13
白い世界の橋渡し
白い魔法使い
1954年に藤本弘と共に上京しトキワ荘に入居、「藤子不二雄」の合作ペンネームでプロ漫画家としての活動を始める。
トキワ荘では手塚治虫 が以前使っていた14号室を使った。部屋の敷金はお金のない2人のため手塚治虫が出した。
トキワ荘入居後、読みきり作品や新漫画党メンバーによる合作などをこなしていくうちに仕事が急増し、毎月6本の連載漫画を持つようになる。
しかし1955年には限界を無視して仕事を引き受け過ぎたため連載の〆切をほとんど落とすという大失態を演じてしまう。
1961年にトキワ荘を出る。
ウェブスペルの色が白色の半ばから最後の年までトキワ荘に入居し漫画家活動をします。
人気漫画家
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1963.3.10~
29
236
2
黄色い戦士
青い鷲
1964.3.10~
30
81
3
赤い竜
青い嵐
1965.3.10~
31
186
4
白い世界の橋渡し
青い夜
1966.3.10~
32
31
5
青い猿
青い手
1967.3.10~
33
136
6
黄色い戦士
青い猿
1963年に仲間たちとアニメーション・スタジオのスタジオ・ゼロを結成。
1964年に「オバケのQ太郎」の連載スタートすると翌年にはアニメ化され、一気に大人気漫画となった。
これに続いて「パーマン」(藤本)・「忍者ハットリくん」(安孫子)・「怪物くん」(安孫子)・「21エモン」(藤本)・「ウメ星デンカ」(藤本)などの現在でもよく知られた漫画が続々と発表され、またアニメ化される。
ウェブスペルの色が青色の始め付近から「オバケのQ太郎」を皮切りに現在でも知られる漫画が続々とアニメ化されます。
2人の路線が離れていく
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1968.3.10~
34
241
7
赤い竜
青い鷲
1969.3.10~
35
86
8
白い世界の橋渡し
青い嵐
1974.3.10~
40
91
13
青い猿
青い嵐
1979.3.10~
45
96
5
黄色い戦士
黄色い人
1980.3.10~
46
201
6
赤い竜
黄色い戦士
1968年に「黒イせぇるすまん」を発表。
1969年に藤本が「ドラえもん」の連載スタート。
1974年に「プロゴルファー猿」の連載スタート。
1979年に「
ドラえもん 」がテレビ朝日系列でアニメ化。「ドラえもん」人気が不動のものとなる。
1980年 映画作品「のび太の恐竜」以来、毎年映画作品も公開されさらに人気に拍車をかけた。
安孫子はブラックな漫画や趣味を生かした漫画。一方、藤本は基本的に児童漫画。それぞれの作品に専念するようになった。
両者の作風の違いは徐々に読者にも知られるようになり、安孫子は「黒い藤子」、藤本は「白い藤子」とあだ名されるようになった。
ウェブスペルの色が青色の半ばから、それぞれの作品に専念するようになります。
コンビ解消
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1988.3.10~
54
1
1
赤い竜
赤い竜
1988年 コンビを解消
コンビ解消の理由については「実際一緒に作品を描いたのは最初の頃だけで、以降はお互いが別々に作品を描いては藤子不二雄の名前で発表していたものですから、もうここらへんで、お互いに藤子不二雄のネーム・バリューに頼らず一本立ちしていってもいいんじゃないか、と話し合い解消しました」と共同で発表した。
安孫子によるとコンビ解消を切り出したのは藤本の方であった。藤子不二雄としての著作権料は関与の度合いに関係なく均等に二分割だったが、どちらかの死後、遺族によって著作権と金銭で確執が起こると考え(特に実質的に藤本作品である「ドラえもん」の巨額の著作権料の分配が問題となると予想された)、それを未然に防ぐためにコンビを解消したという。
ウェブスペルの色が赤色の始めの年に藤本とのコンビを解消します。
その後のできこと
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
1996.3.10~
62
61
9
赤い竜
赤い空歩く人
2013.3.10~
79
26
13
白い世界の橋渡し
白い魔法使い
1996年に藤本弘が9月23日に肝不全のため他界した。
2013年に大腸がんが見つかり、入院、手術を受けた。
故郷の村にて藤子・F・不二雄、赤塚不二夫 、石ノ森章太郎 、手塚治虫らに「こっちに来い」と言われる夢を見たと言う。
晩年
期間
才
KIN
音
太陽の紋章
ウェブスペル
2022.3.10~
88
191
9
青い猿
青い夜
ジャンプスクエアで『PARマンの情熱的な日々』を連載していたが2015年に休載。これが最後の連載となった。
2022年4月7日に川崎の自宅で死去。
ウェブスペルの色が青色の後半に亡くなりました。
藤子不二雄Aのまとめ
個人Kin年表の流れで見てみるとウェブスペルの色が
赤色の後半に父が亡くなり、引っ越し、転校。転校先で藤本弘と出会います。
白色の始めの頃に藤本弘と共に漫画家デビューします。
白色の前半に富山新聞社に入社。
白色の半ばに新聞社を退社し、漫画家を目指し上京します。
白色の半ばから最後の年までトキワ荘に入居し漫画家活動をします。
青色の始め付近から「オバケのQ太郎」を皮切りに現在でも知られる漫画が続々とアニメ化されます。
青色の半ばから、それぞれの作品に専念するようになります。
赤色の始めの年に藤本とのコンビを解消します。
2度目の青色の後半に亡くなりました。
藤子不二雄Aはベジタリアンとして有名です。これは、幼少の頃に実家が寺院で精進料理ばかり食べていたため、肉や魚を体が受け付けなくなっているそうです。
若い頃にアシスタントをした手塚治虫が出前にとった鰻重を一切れ食べたその直後(3秒足らず)に大量の鼻血を出したと回想している。
スポーツはゴルフを非常に好んでおり、現在でも頻繁にプレイしている。
☆いろいろ書きましたがすべて個人的な見解になります。
参考資料
自分で検証を行うには・・・
あなたのKinを調べる (誕生日占い)
誕生日からKin番号を求め、対応する銀河の音とウェブスペル、太陽の紋章の詳細表示を行う占いです。ご自身のもっているエネルギーに気付きや再確認することがある事と思います。
続きを読む
個人Kin年表 (人生占い)
誕生日ごとに回ってくるKin番号が、その年のKin番号になり、1年間影響を受けることになります。入力フォームに名前と生年月日を入力するとメールで個人Kin年表を返信します。
続きを読む
関連記事(偉人など個人の投稿順) 中尾ミエ(なかお ミエ)は、日本の歌手、女優。デビュー曲『可愛いベイビー』が大ヒットし一躍スターとなった。デビュー当時から気の強さと歯に衣着せぬ物言いが好評。『お笑いスター誕生!!』や『ミエと良子のおしゃべり泥棒』の司会を担当。
続きを読む
山田康雄(やまだ やすお)は、日本の俳優、声優、司会者。劇団テアトル・エコーの看板役者として活躍。クリント・イーストウッドの吹き替えやルパン三世の声優で有名。『お笑いスター誕生!!』の司会を中尾ミエと担当。
続きを読む
久保田利伸(くぼた としのぶ)は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。日本にブラックミュージックや、R&Bを根付かせた人物としても知られます。代表曲に「LA・LA・LA LOVESONG」など。
続きを読む
野呂佳代(のろ かよ)は、日本の歌手、タレント。第二期AKB48追加メンバーオーディションに合格。チームKのメンバーとして活動。SDN48へ完全移籍。SDN48のキャプテンに就任。SDN48を卒業しバラエティタレントとして活動。
続きを読む
高橋洋一(たかはし よういち)は、日本の経済評論家。数学科出身の異色の元大蔵・財務官僚。学位は博士(政策研究)。小泉内閣で竹中平蔵の補佐官。第1次安倍晋三内閣で経済政策のブレーン、大阪維新の会のブレーン。
続きを読む
偉人など個人の一覧はこちら 関連記事 (Kin051) 佐藤安太(さとう やすた)は実業家。佐藤ビニール工業所を創業し、のちにタカラに改組し、一代で日本屈指の玩具メーカーにまで成長させた。おもちゃの王様との異名を持つ。
続きを読む
スティーヴン・キングは、アメリカのモダンホラー作家。作品は世界各国で翻訳され読まれています。超常現象と現代社会を巧みに融合させた「モダンホラー」の旗手としてジャンルを確立させました。
続きを読む
パンツェッタ・ジローラモは、イタリア生まれの外国人タレント。ちょいワルオヤジとして知られる人物。ホリプロ所属で元東京純心女子大学講師。ニックネームはジローさん。
続きを読む
本広克行(もとひろ かつゆき)は、日本の映画監督、テレビドラマや舞台の演出家。織田裕二に推薦されドラマ『踊る大捜査線』でチーフ演出を担当。映画版ではスピンオフを含め全6本の監督を行います。
続きを読む
谷村美月(たにむら みつき)は、日本の女優。小学2年生から大阪の劇団に所属し活動。朝の連続テレビ小説『まんてん』に出演し女優デビュー。『カナリア』で映画初出演・初主演。
続きを読む
関連記事 (漫画家) 水島新司(みずしま しんじ)は、日本の漫画家。野球漫画の第一人者。代表作は『野球狂の詩』、『ドカベン』、『あぶさん』など。
続きを読む
うえやまとちは、日本の漫画家。代表作はアニメ化もされた『クッキングパパ』。コミック巻数は2021/8時点で158巻。コミック巻数のランキングで「ゴルゴ13」「こち亀」「ミナミの帝王」に次ぐ日本で4番目の記録。
続きを読む
大友克洋(おおとも かつひろ)は、日本の漫画家、映画監督。1988年に公開したアニメ映画『AKIRA』は高い評価を得て「ジャパニメーション」と呼ばれ海外における日本アニメのさきがけとなりました。
続きを読む
みうらじゅんは、日本の漫画家、イラストレーター。長髪、サングラスでメディアに出演。「クソゲー」「マイブーム」「ゆるキャラ」などの造語を作り定着。ヘタウマな作風がうけます。
続きを読む
石ノ森章太郎は漫画家、特撮作品の原作者。SF漫画から学習漫画まで幅広い分野で作品を量産し「漫画の王様」、「漫画の帝王」と評された。仮面ライダーシリーズの原作者として知られています。
続きを読む